田根剛は新国立競技場に何を思う?作品「エストニア国立博物館」の発想は?

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田根剛さんのプロフィールはこちら

⇒ Wikipedia(田根剛)

今回の記事は、3/27放送の情熱大陸に出演した田根剛さん。

・・・と聞いても、自分は全くピンと来ませんでした。なので「新国立競技場のコンペでザハ氏と争った」と聞いて、とてもビックリしまして。

そもそも新国立競技場で自分が知ってることと言えば、ザハ氏の案の建築費がバカ高過ぎて白紙に戻ったという話だったり、白紙に戻ったのにザハ氏にお金(要は税金)を払わないといけないという話だったり。

つまり「お金」のことしか知らないわけです。それはどういうことかというと、新国立競技場については、そういうニュースが多かったんじゃないかと(自分がそういうニュースばっかり選んで読んだということも、もちろんあると思いますが)

ですので、今回の情熱大陸はとても興味深かったです。ザハ氏と争った方がどんな人物だったのか、その案がどんなだったのか、いろいろ知ることができましたので。

では、知り合いがまとめてくれた田根さんの情熱大陸をどうぞ。

ザハ案と争った若手建築家の静かな怒り

パリ在住の建築家、田根剛(たね つよし)さん。36歳。

2020年のオリンピックに向けた新国立競技場建設計コンペで、最終選考に残っていましたが、決定したのはザハ・ハディド氏の案でした。

しかし2015年9月、ザハ案が一度白紙撤回され、やり直しコンペが行われることに。

前回提案していた古墳スタジアムが高く評価され、今回も同じプランで臨みたいと思たものの、ゼネコンとすぐに協力体制が組めることが参加の条件。

残念ながら、田根さんは各社から敬遠されてしまいました。

日本では、キャリアが浅いと土俵にも上がることが許されないのが現状。

「状況として、あってはならない決断を日本側がしたと自分は理解しているので。

気持ちだけの話をしたら、落胆以上に、ちょっと憤慨というか」

静かな口調の奥に、怒りがにじんでいます。

パリに暮らして十年。わずらわしいしがらみと無縁の海外の方が仕事がやりやすいと感じている田根さん。

パリの街が一望できる公園があり、古墳スタジアムの落胆もこの風景になぐさめられたとか。

「色んなきつい辛いことがあった時に、なんか、助けられてますね。この公園には」

田根剛さん。彼のことは、今回初めて知りました。

古墳スタジアムのイメージ図を見ましたが、落ち着きのあるデザインで、これだったらザハ案のようにお金もかからず、やり直しコンペで選ばれたA案のように、聖火台の問題もなかったのでは。

憤慨していると言いつつ、口調がずっと穏やかで、情熱も感情も内に秘めている人という印象でした。

サッカー少年から建築家へ〜若い頃からおじいさんの落ち着き?!

田根さんは1979年、東京都杉並区に生まれました。

サッカー

サッカー選手になるのが夢で、高校時代はJリーグのユースチームに選ばれたこともあったそうです。

しかし、ケガでサッカー選手の道を断念。新たな目標を探して、建築と巡り会いました。

大学の建築学科に学び、北欧への留学も経験。

十年前、26歳の時に国籍の違う二人の友人と組み、バルト三国の一つ、エストニアの国立博物館のコンペに挑みました。

そして、100を越えるライバルのプランを退け、最優秀賞を受賞。

今では、世界各国で20を越えるプロジェクトを進めています。

建築以外にも、ディレクターとしてイベントなどの空間演出に取り組んでおり、カナダ人建築家であるフランク・ゲーリー氏の展覧会の演出を手がけた様子も紹介されていました。

また、初めて設計した個人住宅は「竪穴式住居」を参考に、1階のリビングは床が地面より低く作られ、夏は涼しく、冬は暖かい設計。

施主が留学時代からの友人で、当時の田根さんのことをこう語っていました。

「思慮深いし穏やかで、もうすでにおじいさんのような落ち着きがありました(笑)」

情熱大陸を見ていると、人生で思い通りにならないことが大きな転機になる、ということがよくあります。

田根さんも、ケガをしてサッカーを断念しなければ、今の建築家としての成功はなかったんですよね。

古墳スタジアムの挫折も、田根さんにとっていい転機になることを願います。

それにしても、学生時代からすでにおじいさんのような落ち着きがあったとは(笑)

運命を変えた一枚のスケッチ〜エストニア国立博物館

エストニア国立博物館のコンペにて。

田根さんは、建設予定地に隣接している軍用滑走路と、あえて一体化するような博物館を提案しました。

アイデアノートに書かれていたのは、一つの滑走路から建築が生まれてくるというイメージ。

長く旧ソ連に支配されてきた国にとって、軍用滑走路は負の遺産ですが、過去を忘れないというそのアイデアがコンペを制しました。

名もない建築家の運命を決めた、一枚のデザイン画。

最初はこのアイデアに批判の声もあったそうです。

でも、田根さんの掲げるコンセプトは、土地に刻まれた記憶。

「記憶っていうものは、本当にいろんな良いことも悪いことも経験して体験して、そうしたものが持っている強さというのが建築とつながった時には、それこそ大きな力になる。

だから、場所の記憶というのをずっと探しているという感じですかね」

3年半前に建設工事が始まり、月に一度は現地に足を運んで作業をチェック。

そして、2016年2月。エストニア国立博物館は、十年の時を経てついに完成しました。

田根さんが見に行くと、夜に浮かび上がっていたのは、近未来を思わせる建物。

十年前のスケッチが、命を吹きこまれて輝いていました。

博物館に展示物が収められ、人々を招き入れるのは9月から。

「描いた線が膨大な物量のコンクリートによって作られたり、膨大なガラスの壁面によって描かれて、内側と外側、地面と空が一本の線によって分かれていくわけですからね。

こんな楽しみを知ってしまったら・・・

誰にでもやらせてもらえるものではないので、建築の神様にやりなさいと言われたら、頑張るしかないですよね」

建築家は、見た目のデザインやその建物の機能性だけ考えているのだと思っていましたので・・・

その土地の記憶も考慮して建物を考える。今までにない斬新な発想に驚きました。

十年かけて、丁寧にエストニア博物館の仕事をやりとげた田根さん。

新国立競技場のドタバタ劇を見るにつけ、彼に決まっていればこんなことはなかったのにと、思わずにはいられません。

ゼネコンとの関係など、しがらみの多い日本では、大きな設計コンペなどで彼の理念は生かし切れない。

その分海外で活躍しているわけで、日本にとって「もったいない!」と思った回でした。

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