山崎育三郎の実家秘話!兄弟と本名の関係は?安倍なつみの全盛知らず

山崎育三郎さんのプロフィールはこちら

⇒ Wikipedia(山崎育三郎)

今夜の”A”なゲストは、山崎育三郎さん。30歳。

歌が好きになったのは、家族でミュージカル「アニー」見に行ったのがきっかけ。

帰ってから劇中の歌を歌っていると、その声が美しく音程もしっかりしていたので、お母さんは「この子は天才かもしれない」と思ったそうです。

もともとは人見知りで人前が苦手な子供だったという山崎さん。

歌うことで自信がついたらという母の思いで、小学3年生から歌を始めたそうです。

そして、12歳でミュージカル「フラワー」(1988年)に出演。

2007年にはミュージカル「レ・ミゼラブル」で、およそ2万人のオーディションを勝ち抜き、マリウス役で本格デビューしました。

その後も、ミュージカルを中心に数多くの舞台に出演。

この収録日も、帝国劇場でミュージカル「エリザベート」の本番後だったそうです。

確かな実力とその甘いマスクから、ミュージカル界のプリンスと呼ばれている山崎さん。

2015年には、高視聴率ドラマ「下町ロケット」出演。

本格的な連ドラは初めてだったので、とまどいもあったとか。

それでも、仲間を裏切りながら最後は心を入れ替えるという難しい役どころを見事演じました。

ここで一言

山崎育三郎さん。下町ロケットに出ていた時は「この人誰?」状態でした。

その後、明るく個性的な役で数多くのドラマに出ていて、「あぁ、またあのノリが濃くてインパクトが強い人」と思っていました。

ミュージカル仕込みの演技だったんですね。

小さい頃は人見知りだったとは!

お母さんが「この子は天才!」と思ってくれたことが、人生の転機だったんですね。

スポンサーリンク
sin35_336x280

兄弟と妻・安倍なつみについて

山崎育三郎さんという名前は本名。

男4人兄弟の三番目だから育三郎と名付けられたそうです。

4兄弟全員の名前は、祐一郎、令二郎、育三郎、厚四郎。

今回は4兄弟の母・雅美さんに取材。

お母さんは女の子が欲しくて、山崎さんが生まれる時には女の子の名前まで考えていたそうです。

兄からは「歌なんか歌ってないでスポーツしろ」「女みたいなことやるな。男だったらラグビーやれ」と言われていたとか。

今は、山崎さん出演のミュージカルを家族で観に来てくれて、その後、彼が仕切って食事に行ったりしているそうです。

2011年にミュージカル「嵐が丘」で共演したことがきっかけで、元モーニング娘の安倍なつみさんと交際が始まり、2015年12月に結婚。

お母さんもなっちのことを気に入り、嫁姑の仲はとても良好だとか。

山崎さん自身は、安倍なつみさんのことを知ってはいたけど、全盛期の彼女をあまり見ていないとのこと。

「なっちやで!なっちは一世を風靡してるよ!」と鶴瓶が興奮していました。

ここで一言

育三郎って本名なんですね。なかなか古風な名前。

もっと今風な芸名をつけようとは思わなかったということは、家族のことを本当に大切に思ってるんですね。

女の子が欲しかったというお母さん。

さぞや孫に期待をしているかと思いきや、7月26日に生まれた山崎さんと安倍なつみさんのお子さんも、男の子。

まぁ、4人も息子がいますから、息子の誰かが願いを叶えてくれるかもしれませんね。

アメリカ留学と介護生活〜夢を全て実現して始まる第二章

高校時代、兄たちの勧めもあってアメリカに留学した山崎さん。

英語もわからず、入学した学校は2000人全員白人の生徒で、アジア人が一人もいない状況。

歩いているだけで突き飛ばされたり、差別もたくさんされて、3ヶ月程は一人で孤独な留学生活を送っていました。

その状況を変えようと、あるダンスパーティーで思い切ってみんなの中心で踊ってみた山崎さん。

ミュージカル仕込みのターンやポーズに500人いた周り人達は熱狂し、「IKU」コールが沸き起こったのです!

それからはスター留学生「IKU」になり、常にみんなの中心に。

日本に帰国するときには、サプライズパーティーも開いてくれたそうです。

そんな充実した留学生活から帰って来た山崎さんを待ち受けていたのは、一人実家で祖父母の介護をするという過酷な現状。

両親は離婚し、母は岡山、父は北海道。

長男・次男は海外留学中で、弟は甲子園を目指して香川県の高校の野球部の寮に。

家族がバラバラになる中、山崎さんが二人で祖父母と住み、介護の人の手助けを借りながら面倒をみていたそうです。

お二人とも脳梗塞が原因で、認知症も入っていた祖父は、山崎さんのこともわからなくなっていたとか。

「知らないよ!」がおじいちゃんの口癖で、その言葉をタイトルにして、自叙伝「シラナイヨ」を出版されたそうです。

その大変さを救ってくれたのが、「山崎軍団」と呼ばれる、山崎さんの中学時代の同級生。

「その時期が精神的に一番しんどくて。

そういう時に山崎軍団がうちに遊びに来ると、わーっと明るくやってくれていて。

おじいちゃんの『知らないよ』もギャグにしてくれて、助けられましたね」

そう山崎さんは語っていました。

では、締めの鶴瓶の言葉です。

ちょっとあのアメリカの話。

実際にホンマにそういう苦労を、誰も助けてくれないのにそこへ行くっていうね。

あの男は小学6年の時に(オーディションに)通って、中学一年の時に「フラワー」っていうミュージカルの主役に抜擢されて、

それから大学の時には「レ・ミゼラブル」の自分がやりたいと思うものに抜擢されて、

それから「モーツァルト」で帝劇に立てたって。

これね、みんな自分のノートにやりたいことをずっと書いてたんやって。

29歳で全部達成してんて。

今度は、家族と子供との素晴らしい第二章が始まる訳ですよね。

山崎育三郎は、ホントにこれからが面白いと思います。

最後に一言

このA-Studioでは、いつも他のトーク番組では聞けないようなディープな話が聞けますね。

高校生で介護。しかも、家族はバラバラ。過酷すぎます。

でも、そんな経験に裏打ちされてこそ、今の明るさがあるんでしょうね。

この人は一過性の人気で終わらず、個性的な演技もシリアスな演技も、これからは父親役だってリアルにこなせる。

今後、際限なく役の幅が広がっていく俳優として息長く活動していくんじゃないかな、と思った回でした。

スポンサーリンク
sin35_336x280
sin35_336x280

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>